ふと気づくと、すべてが「間に合っている」と感じていた。
午睡をしていても、必要な時間には自然と目が覚める。
遅れることもなく、焦ることもなく、
ちゃんとその場に間に合っている。
この感覚は、ただの偶然ではなくて、
「間に合う現象を自分がつくっている」ということなのだろう。
必要な情報は、必要なタイミングで入ってくる。
現実は忙しくても、どこか安心していられる。
もし、未来から逆算するように、生活が組まれているとしたら、
先々には、こんな日が訪れるのだろうか。
朝、自然に目が覚めて、
「今日は何をしようか」と考えながら、コーヒーを淹れる。
パンを焼きながら、香ばしい匂いに頬を緩める。
そんな静かな時間をもって、一日を始めるのだ。
外に出れば、風が気持ちよく肌をなで、
鳥のさえずりが耳へと届く。
散歩の途中で、道行く人と軽く言葉を交わす。
そんな何気ないやりとりが、どこか心地いい。
自分の仕事を創るのもまた、大切な時間の一つだ。
整えることは、もともと好きなことでもある。
放っておいても、自然とやってしまう習性だ。
自分の事業を整備し、場を整え、
そこに来る人が、どこか「ほっとする」ような空間をつくる。
訪れた人が、自分を取り戻していけるように。
そのために、料理や飲み物を用意して、あとは笑って過ごすだけ。
気がつけば、皆に笑顔が広がっている。
時には畑に出て、大地の恵みを受け取る。
旬の野菜や果物は、それだけで十分に美しい。
そして、自分もその循環の一部として関わっていく。
一日の中で、仲間と過ごす時間も持とう。
お茶を飲みながら、食卓を囲みながら、
心に浮かんだことを、そのまま言葉にして話そう。
多くを語らなくても、分かり合える。
そんな関係性が、自然に育まれているのだから。
人は本来、それぞれの得意や役割を持ち寄ることで、
自然に助け合える存在なのだと思う。
誰かが無理をして支えるのではなく、
関係性の中で、必要なものが満たされていく。
その在り方は、とても自然で、美しい。
気持ちよく働き、気持ちよく遊び、
一日の終わりには風呂に入って整える。
美味しいごはんを用意して、
少しお酒を飲みながら、
家族や仲間と笑い合う。
それだけで、もう十分なのだと思う。

僕たちは今、「使われる側」から「創る側」への移行期にある。
これまでのように、与えられた枠の中で生きるのではなく、
自分たちで世界を創っていく段階に来ている。
もし、不安があるとしたら、
それは個人の問題というより、構造の問題なのだろう。
だからこそ、それを打ち破るのもまた、
自分たちの創造によってなのだと思う。
石岡という場所で、それが現実になろうとしている。
すでに仲間がいて、
機会があり、場が用意されている。
「こんなところまで辿り着いたんだなあ」と心から思える未来を、
これから形にしていこう。
それは一人ではなく、
みんなの力と想いで創り上げていくもの。
そのタイミングに来ているから、
いま、この流れが起きているのだと感じている。


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