こんにちは。
僕は、茨城県石岡市の、とある山荘に住まう大越という者です。
せっかくいらしていただいたのですから、このブログの成り立ちについて、少しだけ語らせてください。
「田菜ごころ」は、僕が料理をして、ひととつながるための名前(屋号)です。
ひいては、この山荘に開く場の、その呼び名でもあります。
物心ついた時から、料理には面白さを感じていました。
自分が食べるものを自分で作ること。
その工程自体への興味と、実際に食べて感じる美味しさに魅せられて、
就く仕事も飲食を多く選んできました。
そして、自然食やマクロビオティックといった、食養生の考え方とも出会います。
それは、自分が心身のバランスを崩しやすく、どうにかして立ち直ろうともがいた結果でした。
畑の野菜を料理したり、
誰かとゆっくり話をしたり、
季節の移ろいを感じたり。
そんなことが、固く閉じたこころを緩め、いつの間にかほどいていく。
食べることと、ひとの心のこと。
一見別のもののようだけれど、僕の中ではどこか近い位置にあります。
そしてもう一つ、大切なこと。
ここまでの生を、その時々で生きて。
いろいろな人と出会い、笑い、泣き、
時には一人さまよいながら、
ずっと心の奥に流れていたものがありました。
「僕はいったい、どこに立てばいいのだろう?」
「僕が僕らしくいられる場所は、どこにもないのだろうか?」
歳を重ねて、ひとと付き合うことや、社会の中で生きることには少しずつ慣れましたが、
なんとなく生きられるようになっても、据わりの悪さだけは片隅に残っていました。
それは、自分という一個の生き物を、既にある場の枠に合わせようとする、
その行為に対する違和感だったかもしれません。
ある時、AIとの対話の中で、ひとつの言葉に出会いました。
「ひとはどこに帰ればいいのか」という問いです。
この言葉に出会った時、
「ああ、僕がずっと引っかかっていたのは、これだったのだ」
「この一言に、すべてが言い表されていた」
と思いました。
問いが立ったからといって、すぐ答が出るわけではないですが、答を探して生きることはできる。
僕にとっての答となる場を作ろう、用意しようと、そんな気持ちが沸いてきました。
ひとは誰しも、気の弱る時期や、生に惑う時期がある。
僕はそう思っています。
そして、疲れた時や少し立ち止まりたくなった時に、
「あそこへ行ってみようかな」
と思える場所があることは、頭で思う以上に大切なのでは、と感じるのです。
田菜ごころは、料理をきっかけに人が集まり、
食べて、話して、元気になって、またそれぞれの日常へ戻っていく。
そんな場にできたらいいなと思っています。
このブログでは、料理のこと、暮らしのこと、日々の出来事や考えごとなどを、
構えず、気負わず、等身大で綴っていこうと思います。
よろしければ、たまに覗きにきてください。
いつでも、お待ちしています。
