半熟卵の歩留まりと、一万時間の話

卵を茹でる難しさ

卵のアチャール(スパイス漬け)を作っていた。

個人的には、この品は半熟が美味しいと思っているので、
タイマーを使い、火入れを調整。
何度か失敗もしつつ、ようやく頃合いを覚えてきて―――

それでも、
殻を剥くとき、白身が一部えぐれて、
中の黄身が見えてしまうことがあったりする。

今回は全8個の内、3個が上の状態に。

冷蔵庫から出したての卵に穴を開け、沸騰湯にてタイマースタート。
途中、箸で転がして、黄身の位置も整えている。
茹で上げた後の急冷もしている。
細かくヒビを入れてから、流水&水中で剥いている。

それでも、失敗は起きる。

なぜなのだろうか?


側面だけ剥がれる理由

chatGPTに問うてみて、考えられる可能性を挙げてもらった。
回答は以下の通り。

卵は構造体だ。だから―――

  • 白身と内膜の密着度(卵の鮮度にもよる)
  • 殻の厚さや気質の大きさなどの個体差
  • 茹でる前から入っていた微細なヒビ

こうしたものが仕上がりに影響してくる。
半熟という繊細な状態では、
ほんのわずかな構造差が、歩留まりを左右するのだと。

鮮度については承知しているので、少し日を置いた品を使うのだが、
それでも、だ。

卵ひとつでさえ、思うようにならない。
その事実が僕を打ちのめす。
「卵ひとつ」の奥深さを、自分は軽視してはいなかったか。


量と習熟

ここで思い出したのが、
いわゆる「一万時間の法則」。

何かを卓越レベルに持っていくには、
圧倒的な時間が必要だという話だ。

毎日料理を作る人たちを、僕は本当に尊敬している。
量が違う。
反復の回数が違う。

独り身の自分と比べたら、蓄積の差は歴然だ。

自分は南インド料理に「特化」しているから、
なんとか料理人の顔をしていられるだけではないか。

そんなことも考える。


問い続けること

習熟の要素は、量だけではない。

「なぜ失敗したのか?」
「どこに応力が集中したのか?」
「構造上の弱点はどこか?」

そう問い続ける時間は、
ただ作る時間とは質が違う、はずだ。

半熟卵一つで、あれこれ深く考える。
原因を探り、改善を目指す。

それもまた、積み上げなのだと思う。


応えられる自分でいたい

正直に言えば、料理は上手くなりたい。
そして、どのような要望にも、応えられる自分でいたい。

料理の師、心の師にも、
友人や仲間にも、
そして何より、自分自身にも。

認められたいという、承認欲求からか。
これは他人軸だろうか?

たぶん、少しはそうだ。

でも料理は、もともと誰かに向いた営みだ。
だから両方でいい。
自分軸と他人軸、両方あってもいいのではないか?


今の100%

今日は、卵アチャールのほかに、

  • カチュンバル
  • ゴボウと蓮根のサブジ
  • ゴビマサラ
  • ワダの種
  • アルキーマ

までを仕上げた。

並行作業は得手ではないし、
集中して取り組んでも、それなりに時間がかかる。
ある程度進めておかないと、明日の本番に間に合わない。

だけれどこれが、今の僕の100%だ。

半熟卵の歩留まりは、まだ完璧ではない。
でも、問い続ける限り、
1mmずつでも前に進むだろう。

料理の道は、
卵一つで終わらない。

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